2012年5月5日土曜日

季語の本意について

質問
神社の境内に、桜が散っていました。冬の間はひっそりと静かなのに、人出があって、楽しい感じがしました。桜散るで、楽しい句を作りたいのですがどうしたらよいでしょうか。

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実際の情景から自分がどう感じたかを大切にすることが、俳句を作る基本になりますが、
それぞれの季語にはおのずと持っている、意味のようなものがあります。それを本意といったりします。俳句で、「花」といえば「桜」を指すことが決まっています。そして「桜」の傍題と言われる季語を「季寄せ」で見ると、たくさんのいい方があるのに気付くでしょう。たとえば「桜散る」をあらわす季語には、「花散る」「落花」「飛花」「花吹雪」「桜吹雪」などがあります。「桜散る」も「ちるさくら」などとも表現されます。

ちるさくら海あをければ海へちる         高屋窓秋

この句は、紺碧の海に散っていく桜の花びらが鮮やかに情景として浮かびますが、「ちるさくら」と言う季語には、今の時代の私たちには、太平洋戦争で亡くなった人たちを連想させるものがあるのです。もともと「桜」は日本で、軍国主義と結びついていたわけではありません。大貫恵美子著『ねじ曲げられた桜』岩波書店刊は、神代の時代からの桜の象徴的な意味を追った名著ですが、古代日本の「咲く花」の生の祝祭から、やがて「ちる桜」が無常感と結びつき、もののあはれを感じるようになる平安時代、さらに時代がくだり、能楽における「風姿花伝」や、歌舞伎の美、女性美や稚児の美など、仮想の世界の美意識と桜は結びつき、やがて為政者によって戦争で国家のために「花と散って死ぬ」ことを潔しとする特攻隊の思想と結びつけられていきました。桜ひとつとっても、時代によってどれだけ内包する意味が変わっていったかがよくわかります。「散る桜」には季語の本意に「死のイメージ」があるので、「散る桜」で楽しい句を作るというのは、結構難しい作業になるかもしれません。

季語で「桜」というときは、俳句によっては、植物としての花をさしているだけではないことが少しわかっていただけたでしょうか。季語が俳句にとって一つの共通語のように、認識されるのは、その背景を日本人なら共有しているはずという暗黙の了解があるからです。しかし、実際には、日本列島は長いので、季節感もずれがありますし、南国の桜と北国の桜では咲く時期も違うし、人々の想いも違うかもしれません。日本の「桜」と外国の「チェリー・ブロッサム」ではそこへ託す思いもまた違うかもしれません。ただ、季語を使う俳句には、季語のもつ象徴性に、作者の想いを託すことができるメリットがあると思います。季語を覚えると同時に、季語のもつ本意を知ることは、俳句への深い理解につながるかもしれません。

6 件のコメント:

  1. こんにちは。「はじめての俳句Q&A」、とても奥深い内容で興味深いです。本意というもの、季語の重力圏に身を置きつつ、それだけだと季題趣味に陥ってしまいかねず、難しいですね。ご質問された方の「人出があって、楽しい感じがしました」という把握を生かして「神域の賑つてゐる落花かな ゆかり」みたいなものを詠んでも、みごとに本意が働き出して、なかなか楽しい感じになりません。

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  2. 三島ゆかりさんのコメントをありがたく拝読しました。突き詰めて考えていくと、季語は本当に意味が深く、結構、自分が安易に俳句を作っている気がしました。
    その前の、「季語が一句にひとつ」と言い始めたのは、誰なのか…これも追っていくと調べるのは大変かもしれません。高浜虚子選の「ホトトギス」の雑詠には、結構、季重なりも無季もあり、どうも、言い出したのは、最近の俳人ではないのか、などと思います。もし、こちらも分かったらぜひお教えくださいませ。 千晶

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  3. 時間とともに宇宙が膨張するように季語が増えているので、季重なりの句の季語の片方はその時代季語とは言われていなかった、なんてことがありそうですよね。ちなみに角川の合本俳句歳時記の第四版によれば、滝が季語になったのは近代になってからだそうです。

    滝浴のまとふものなし夜の新樹 誓子

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  4. 三島ゆかりさんのコメントをしばらく考えていました。本当にそのとおりなのです。俳句の情趣と季語が結びついているならともかく、時代によって、言葉の意味も変わってくると作者の思いとは別に、作品がひとり歩きをしていくだろうし、
    それはそれでいいのだろうけれど…合本歳時記の第四版をとりあえず、見てみます。季語だって、生きているのだから、変わっていくのは当然なのですよね。千晶

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  5. 西村睦子『「正月」のない歳時記-虚子が作った近代季語の枠組み-』(本阿弥書店)という本が役に立ちそうな気がするのですが、現時点で未読です。図書館に予約しました。http://weekly-haiku.blogspot.jp/2010/02/blog-post_8680.html

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  6. 三島ゆかりさんの示してくださった『「正月」のない歳時記』を読まれましたら、ぜひまた教えてください。こうやって考えていくと、誰が季語として決めるとそれが季語となるのかという疑問がわいてきます。新しい季語は、良い句ができて、それが人工に膾炙されると季語になるといいますが、人工といっても漠然としすぎていますよね。またコメントをお待ちしています。長嶺千晶

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