2013年10月31日木曜日

今も沖には未来あり―中村草田男句集『長子』の世界

評論集『今も沖には未来あり―中村草田男句集『長子』の世界』を本阿弥書店より上梓いたしました。

自恃と自虐の交錯する青春時代を俳句によって超克し、俳句史上稀にみる生命鑽仰を高らかに詠いあげた中村草田男の原点を探る。第一句集『長子』全句の初出を完全網羅。そこから見えてくる草田男の真実とは? 

2013年9月11日水曜日

ブログにご高評

栗林浩さんのブログに『雁の雫』のご高評を頂きました。ありがとうございます。

2013年8月31日土曜日

雁の雫

句集『雁の雫』を文学の森より上梓いたしました。

2013年8月5日月曜日

第5号発行

 季刊同人誌「晶」の第5号を発行致しました。目次は以下です。

●特別寄稿作品
草田男と霊感   恩田侑布子……1
奇蹟の變に招かれて   柚木紀子…8

●エッセイ
悟空、そして囲碁との出会   峯岸八戒……12

●同人俳句作品
南風      長嶺千晶……14
水無月の窓   海野弘子……15
初燕      小川雪魚……16
風薫る     金崎雅野……17
青葉五月    小村一幸……18
モーツァルト  清水睦子……19
遠嶺      永汐之恭……20
雪形      峯岸八戒……21
進級す     一柳はるみ……22

●評論
光と影と―二つのひろしま   金崎雅野……23
香西照雄著『中村草田男』の検証(5)
生命讃歌とは何か   長嶺千晶……28
本号の作品から  長嶺千晶……30

清風晶々   長嶺千晶……32

2013年7月10日水曜日

ブログに紹介記事

涼野海音さんのブログに第5号の紹介記事が掲載されました。ありがとうございます。

2013年5月5日日曜日

第4号発行

 季刊同人誌「晶」の第4号を発行致しました。目次は以下です。 

●同人俳句作品
影の春      長嶺千晶……1
寒明ける     一柳はるみ…2
薔薇色の舌    海野弘子……3
揚雲雀      小川雪魚……4
梅一輪      金崎雅野……5
浅春の寒     小村一幸……6
己が影      永汐之恭……7
処女雪      峯岸八戒……8
本号の作品から  長嶺千晶……9

●特別寄稿作品
龍太と蛇笏が求めたもの②  三森鉄治……12

●エッセイ・評論
日刊学級通信のこと   峯岸八戒……16
道の辺の草によせて   金崎雅野……18
香西照雄著『中村草田男』の検証(4)
死に打ち勝つ俳句   長嶺千晶……22

清風晶々   長嶺千晶……24

2013年4月13日土曜日

ブログに紹介記事

涼野海音さんのブログに第4号の紹介記事が掲載されました。ありがとうございます。

2013年2月8日金曜日

BLOG俳句新空間に紹介記事

BLOG俳句新空間筑紫磐井さんによる第3号の紹介記事が掲載されました。ありがとうございます。

2013年2月5日火曜日

第3号発行



季刊同人誌「晶」の第3号を発行致しました。目次は以下です。

●特別寄稿
龍太と蛇笏が求めたもの①
          三森鉄治……1
●同人俳句作品
鍵さまざま     長嶺千晶……4
折れ合ふ      峯岸八戒……5
オペラ「トスカ」  海野弘子……6
冬の燭       小川雪魚……7
大鳥居(宮島)   金崎雅野……8
残像        永汐之恭……9
本号の作品から   長嶺千晶……10     

●エッセイ
八戒のつぶやき(2
ゆっくり漬け込む  峯岸八戒……12

●評論
俳人のスランプ対策 小川雪魚……14
中村草田男を想う
インバネスと林檎  金崎雅野……18
香西照雄著『中村草田男』の検証(3)
聖パウロ教会にて   長嶺千晶……32

清風晶々       長嶺千晶……24

2012年11月6日火曜日

ブログに紹介記事

涼野海音さんのブログに第2号の紹介記事が掲載されました。ありがとうございます。

2012年11月5日月曜日

第2号発行

 季刊同人誌「晶」の第2号を発行致しました。目次は以下です。

●同人俳句作品
白い時間  長嶺千晶
夏雲    永汐之恭
間合ひ   峯岸八戒
火縄の香  小川雪魚
夏帽子   金崎雅野


本号の作品から  長嶺千晶


●特別寄稿
俳句の批評という冒険 境野大波

●寄稿草田男研究
魂の同伴者 小山森生

珠玉のメルヘン
雉鳩になったおばあちゃん 峯岸八戒


八戒のつぶやき
日野原重明先生に伺う 金崎雅野

 香西照雄著『中村草田男』の検証(2)
『長子』から『火の島』 長嶺千晶 

清風晶々 長嶺千晶

見本誌(1部千円)のお申込は下記までお願いします。
muranochiaki
の後にアットマークとpure.ocn.ne.jp

2012年8月19日日曜日

週刊俳句に紹介記事

週刊俳句で、三島ゆかりさんの「中村草田男研究誌の誕生 季刊同人誌『晶』創刊号を読むという記事により紹介されました。ありがとうございます

2012年8月14日火曜日

ブログに紹介記事

栗林浩さんのブログに創刊号の紹介記事が掲載されました。ありがとうございます。

2012年8月5日日曜日

創刊号発行

 季刊同人誌「晶」の創刊号を発行致しました。目次は以下です。

創刊に際して 長嶺千晶

●創刊特別寄稿
「晶」創刊祝句 岩淵喜代子
晶」創刊巻頭提言 韻文と散文の間 村上 護

●同人俳句作品
大きな瞳  金崎雅野
虚空    永汐之恭
満ちゆける 長嶺千晶
伏流    峯岸八戒

●創刊特別寄稿
俳句作家へのアプローチ 栗林 浩
『高浜虚子論』の場合 俳人研究の一試み 中岡毅雄

●同人評論
中村草田男を想う 一匹の羊  金崎雅野
創刊号の作品から  長嶺千晶
 香西照雄著『中村草田男』の検証(1)
草田男はヒューマニストだったのか? 長嶺千晶 

清風晶々 長嶺千晶

見本誌(1部千円)のお申込は下記までお願いします。
muranochiaki
の後にアットマークとpure.ocn.ne.jp

2012年7月19日木曜日

十年の歳月を経て

このたび第四十一回俳人協会賞を受賞された茨木和生氏の第七句集『往馬』(いこま)が、俳句四季文庫の新装版で上梓された。

句集を出すことには、さまざまな考え方があると思う。一生に一回、自分史の記念として出すのであれば、装丁を凝った化粧箱入りのようなものは望ましいし、また一方、文庫本サイズというのは持ち歩く便利さもあり、手にとって広く読んでもらうには好都合である。今回の「あとがき」にもあったが、句集というのは概して著者の手元に残らないものなのである。良いものを残していくためにも、文庫本として再度上梓されていくことは、意義深いことと思う。

 たまたま『往馬』は平成13年俳人協会賞受賞当時、単行本のかたちのものをご恵贈いただいていたこともあり、今、十年を経て読み直す機会をいただいたことは得難い経験であった。

 当時の私の中に一番心に残った句は、

こがねうちのべたるごときこのこかな   という句であった。

たまたま友人たちとの秋田の吟行旅行で、当時、「このこ」なるものの実物を見ていた。「このこ」とは、海鼠の卵巣を三角形に伸ばして、乾かしたもので、珍味中の珍味である。珍味というのは貴重であるから、値段も恐ろしく高い。一辺が十センチくらいの三角形の大きさのものが、当時でも数万円はしたと思う。金色に干されているこのこを見るとまさに、「こがねうちのべたるごとき」である。
さらにこの句の凝っているところは、芭蕉に一句一章の句をたとえて「こがねうちのべたるやうに」と言う言葉があるのだ。それを踏まえての句なのである。そして紛れも無く、この句は「このこ」の一句一章の句である。そんな茨木和生氏の遊びごころを感じて、当時、心に残った一句であった。

 俳壇きってのグルメでもある、茨木和生氏の一面はこの句にも集約されているが、今回読み直して思ったのは、茨木氏の負っている風土と、その故郷への想いである。東京に生まれ育った私には、見当がつかなかった事柄が、この十年を経て理解できるようになってきた気がする。氏は集名の『往馬』(いこま)からもわかるように、幼少期から生駒山を眺めて育った。現在も平群という深吉野の地に住まわれている。
 今回、特に心惹かれた句をあげてみたい。

   雪漕ぎをして業平の墓に行く
   一本の針金なりし貂の罠
   ゐずなりし蚕飼疲れを知る人も
   濃き墨はひかりて乾き雲の峰
   蹴り脚の伸びすこやかな鹿の仔かな
   尻子玉抜かれしごとき水中り
   熊の糞崩れてゐたる雪間かな
   罠づくり伝授してをる春炉かな
   しぶちんといはるるは癪祭来る
   井戸替の痩鯉を投げ上げにけり
   海豚とは知らせてをらず薬喰

 十年前の私には、これらの句の諧謔味は理解できなかった。土に根ざし、生きることの、野太さは自分とは無縁ものものだと思っていた。しかし、今になって俳句の世界の中だけに忘れられてはいけない深吉野の風土のもつ力を、いきいきと善も悪もすべてをひっくるめたふところの深さを、この句集に感じはじめている。歳月を経て同じ句集を読み直すことで、気づくのは新たな自分なのかもしれない。そんな貴重なひとときをいただいた。

2012年7月17日火曜日

晶メール句会7月の作品から考える


 「晶」では会員が全国に散らばっているので、定例句会を月一回15日締切のメール句会にしています。7句投句、7句選句にコメントをつけて、投句者同士が全員にメールで送りあい、最後に長嶺が集計して、結果をメール送付しています。ご興味のある方は、長嶺までお問い合わせください。次回の7句投句は、8月15日締切です。

 このメール句会も早や、3回たちました。今回から、気になった句とこうしたらどうだろうかという提案をこのブログでしていきたいと思います。あくまでご参考にと思っていますが、どうかご一緒に考えてみてください。

夫出かけ真昼の贅沢髪洗ふ

この句は、何となく自由を得て、のびのびとした妻の心境が良く出ていると思います。夫が現役を離れ、自宅に四六時中いられると落ち着かないのは、世の妻の常でしょう。
そんな妻の気持ちが素直に表れています。

しかし、俳句では、なるべく動詞を使わずに、コンパクトに表現することが必要です。一句の中には動詞が二つ以上はない方がいいという人もいます。なぜかと言えば、動詞を数多く使うことによって、表現が散文的、説明的になる恐れがあるのです。あくまで、
俳句は韻文の詩であってほしいのです。ですから、「晶」では基本的に、有季定型を守り、
歴史的仮名遣いで俳句を作っていきます。

具体的に云うと「夫出かけ」と「髪洗ふ」で動詞が二つになっています。もちろん「髪洗ふ」は季語ですので、はずせません。そうすると「夫出かけ」の「出かけ」の表現を変えられないでしょうか。

 「夫でかけ」は夫が居ないということ、つまり留守なのです。「夫留守の」としたら
どうでしょう。さらに定型は十七音ですから、「真昼の贅沢」では中7が八文字になって
しまいます。真昼のの「真」は必要でしょうか。「昼の贅沢」ではどうでしょう。

 さらに「真昼」を活かすなら、「贅沢」を「贅」に切れ字の「や」をつけて「贅や」ということで、ゴージャスな気分が伝わります。このようにして、韻文的に言葉を詰めた表現を考えていくのです。
 
 「夫留守の昼の贅沢髪洗ふ」  または  「夫留守の真昼の贅や髪洗ふ

私だったら、一歩すすめて「夫留守の真昼の奢り髪洗ふ」としますが、これは行き過ぎでしょうか。こんなことを参考にして、もう一度考えてみてください。内容はとても実感があって良い句だと思います。

撫でて買ふ小玉西瓜は子の頭ほど

店頭の小玉西瓜が子の頭ほどの大きさでかわいらしかったので、触ってはいけない西瓜を子の頭のように思わす撫でて買ってしまったということなのでしょう。この句は十分に
形もできていますし、状況も伝わります。

しかし、撫でて買ふという表現にも動詞が二つあります。さらに、子の頭を「あたま」ではなく「ず」と読ませて定型にしていることに、注意が必要です。結社によっては許されるかもしれませんが、一般的に通じるとは言えません。これを「子のあたまほど」と読ませて定型にする方法を考えてみましょう。

 「子の頭(あたま)ほどの西瓜や撫でて買ひ」としても 小玉西瓜であることは伝わるのではないでしょうか。撫でて買うという動詞二つが、うるさいと思えば、

「子の頭ほどの西瓜よ撫でやりぬ」で、それが店頭でも、畑でも場所の設定はOKになります。この添削した二句はあまり、上手な例とはいえませんが、必要なことの焦点を絞っていくことが、省略を効かせる表現の基本です。一から十まで云わないで一句に仕立てていく方法がないかどうかを考えてみてください。

自分が感動した焦点がどこか、それを自分でつきつめていくことによって、省略を効かせた表現が可能になります。

磯しぶき虹の断片出ては消え

荒磯へ波しぶきがかかる度に虹の断片があらわれ、そして消えるのでしょう。とても
鮮明に情景がわかります。問題は「出ては消え」がまた動詞が多いことです。この句のかたちも一句としては整っているのですが、あえて言えば私なら、次のようにするだろうと思います。どうか考えてみてください。
 
飛沫くたび虹の断片荒磯岩」 さらに切れ字を使い「飛沫くたび虹のかけらや荒磯岩

 庭園の岩尖りゆく日の盛り

あまりにも厳しい暑さのなかに、庭園の岩が尖ってみえたようだという感覚なのでしょう。しかし、「庭園の岩」とすると、「岩」の説明にならないでしょうか。

庭園に岩尖りゆく日の盛り」とすると庭園という空間の中に岩々が尖っていく様子が
浮かぶのではないでしょうか。「の」と「に」の助詞の違いですが、意味が変わってくることがわかるでしょうか。この「庭園に」としても「に」がそもそも場所をあらわす助詞なので、まだまだ、説明的ですが、「庭園の岩」としてしまうと、これは本当に岩がある場所説明をしているだけのことになります。

俳句は最後は助詞できまります。一字たりともおろそかにしない句作をこころがけたいものです。


2012年5月21日月曜日

5月の受贈誌より(1)

感銘句より一部を抽かせていただきました。誠にありがとうございました。
(到着順で敬称は略させていただきました。)

     
狩     いくたびも逸るを怺へ巣立鳥       鷹羽 狩行
      一頭の駈け抜けてゆく落花かな      片山由美子
      初富士の白磁を太平洋の上        田口 紅子
 
百磴    梅の香と気付きしほどの雨が降る     雨宮きぬよ

秋草    家中に箱がたくさん鳥の恋        山口 昭男

若竹    寒月下われも笛吹童子かな        加古 宗也

ひろそ火  薔薇の芽や神にも赤き血のありぬ     木暮陶句郎

都市    義仲を育てし谷や雪煙          中西 夕紀

春塘    豆撒きて三尋の闇をてなづける      清水 和代

帆     草鉄砲たれに飛ばそか雲雀東風      浅井 民子

松の花   はばたきて大白鳥の仁王立ち       松尾 隆信
 
青瓢    雪原や影無き鳥の声過ぎる        中村  弘
      遷化の師乗る雲も無し冬満月       加藤  仁

陸     谷底の巌は割れて桜咲く         中村 和弘

       八田木枯先生
秋麗    生まれ変はられしか若き糸桜       藤田 直子

夕凪    鬨の声消して吹雪の関ヶ原        飯野 幸雄

大     春遠き坂の日向の蕗の薹         境野 大波
      雪吊や今宵は月の欠けるてふ       遠藤千鶴羽

紫     みな同じ貌ではないと泣く公魚      山﨑 十生

星雲    補陀落の沖に溢るる冬銀河        鳥井 保和

握手    ゴンドラや我が青春の標旗なり      磯貝碧蹄館
      穀象や秘すれば花の教へあり       朝吹 英和
      この国の震へし春を踏み違ふ       海野 弘子

弦     電灯の紐ながく引く鶴来るころ      遠山 陽子

吟遊    書類ただ上下している空虚な塔      夏石 番矢
      弓に矢をつがえよ永遠を射ぬかん     鎌倉 佐弓

ランブル  春愁のなかに浮くもの沈むもの      上田日差子

篠     歩く人皆春光の塵となり         岡田 史乃
      良縁を願ふ母の手雛飾る         辻村 麻乃

宇宙    神鏡のごとき一湾初御空         島村  正
      桜桃忌昨日の吾にグッド・バイ      八木 裕子

嘉祥    方丈に鈴の音したる涅槃かな       石嶌  岳   

谺     草青むキリストは立ち釈迦坐り      山本 一歩

椰子通信  亡きひとの家路は芹の水に沿ひ      友岡 子郷
      海見たき日は海を見に龍の玉       中岡 毅雄

や     いつかのセーター綾取りの川となり    麻里伊
      
かつしか  三角の鉄砲狭間風光る          吉岡 桂六

OPUS  村中を知つてゐるなり麦を踏む      和田耕三郎
      遠景にずつと塔ある遅日かな       坂本  登
      毛糸玉ころげてここも銀河系       しなだしん
 
なんぢや  手を繋ぐひとと一緒に冬に入る      井関 雅吉
      春節の街の夕ぐれ茶葉ひらく       鈴木 不意
      獅子舞に惡しき頭を噛ませをり      土岐 光一

静かな場所 使はれぬもの裏庭に枇杷の花       対中いずみ
      梅漬けて貴女は去年より若し       満田 春日

唐変木   銀色の月を大きく秋草図         菊田 一平

麻     残る鴨見ていてひとり残さるる      嶋田 麻紀
      剪定の枝をその樹に束ね置く       松浦 敬親

豆の木   
      半袖になりはじめたる心かな       こしのゆみこ
雑巾で行こう隅々まで如月         遠藤  治
待針をマチコと呼ぶも供養なる       太田うさぎ
空瓶をくぐつてきたる冬日かな       齋藤朝比古
ふくろふの眼うごかず闇うごく       吉田 悦花   

惜春    新涼や蔵ある家もなき家も         高田風人子
      枯木径行くや何かに縋りたく        福神 規子

       


2012年5月16日水曜日

今月の受贈句集から

5月の句集より(1)

『大森海岸』 大牧広    角川書店刊

老人と仲良しの山眠りけり
冷奴崩れ崩れし世の隅に
原発の壊れて粛々梅雨に入る
北窓をときどきひらく処世術
これよりは生き競べなり春夕焼

自らを老人と諧謔味あふれる俳句に詠みながら、その芯には、自己と他者を見つめる真摯なまなざしがある。「港」主宰で、俳人九条の会の発起人のひとりでもある氏のメッセージ性は強い。自分と今の社会の関わりを問われる思いがした。

『白雁』  岩淵喜代子  角川書店刊

箱庭と空を同じくしてゐたり
盆踊り人に生まれて手を叩く
着水の雁一羽づつ闇になる
綾取りのあとは何して生きめやも
花ミモザ地上の船は錆こぼす

一頁に一句と二句組が混じるレイアウトの斬新さに目を見張る。「等身大の自分を後追いするのではなく、今の自分を抜け出すための句集作り」のあとがきに詩情によって浮遊するかのような世界を醸しつつ、また地上へと還ってくる感覚が諾える。「ににん」代表。

『句のある風景』 東京四季出版刊

郵袋の賀状を島へ放り投ぐ      鳥井保和
引く波を力に入れて土用浪       同
命中の鴨の羽毛のおくれ落つ      同
吃水に昆布躍らせ船戻る        同
海へ石投げては岬を耕せり       同
 
20人のアンソロジーによる句集である。鳥井保和氏は、山口誓子門で「星雲」主宰。その躍動感あふれる写生句には、他の追随を許さない雄々しさが漲っている。

『星の呼吸』  佐藤郁良  ふらんす堂刊

砂嘴ひとつ海より生るる初景色
大干潟一歩一歩を消しに行く
祭髪父を離れて坐りけり
偏愛の果てのホワイトアスパラガス
風景のやうに茶を飲む生身魂

坦々として詩的である。どこにでもある風景が氏によって切りとられた瞬間から、独自性を帯びる不思議な言語感覚がある。これからの俳句が詩的であるためには、比喩によらなければ表現できなくなっていくのだろうか。ふとそんなことを思う。「銀花」副編集長。
俳人協会新人賞受賞後の第二句集。

『永遠が咲いて』現代俳句協会コレクション1 鳴戸奈菜  現代俳句協会刊

玉手箱そろそろ開けよう耕衣の忌
埒外の人ゆえ春はおままごと
気が遠くなるたんぽぽのたんぽぽで
秋思あるいは愁死それが何か
秋の蛇おのれの始末これからは

俳句がフィクションで詩であることが、端的に表れている。若い世代はおさまりかえった枯淡のかたちを目指すのに、氏のもつ言葉のエネルギーは逆に衰えることを知らない。
同人誌「らん」発行人。50句ずつの多作による作品群には、俳句同士に微妙な響き合いがあり、一句独立してではなく、そのかたまりとして味わいたいと思った。

『かもめ』  山中多美子  本阿弥書店刊

てふてふを見しは瀑布の音のなか
行く舟の小さくなりぬ葭屏風
かたはらを鶏走りたる落葉籠
西行谷花びらほどの雪がふり
観音の指ひらかれて冬の蝶

言葉に静謐な気品があるとはこういうことだろう。古典にも精通し、一句の世界はあくまで端正で美しい。宇佐美魚目に師事し、現在は「晨」「琉」「円座」同人。『かもめ』の題に、私はチェホフを意識したが、氏の句風には揺らぎのない日本画の透徹した美が感じられる。第二句集。