このたび第四十一回俳人協会賞を受賞された茨木和生氏の第七句集『往馬』(いこま)が、俳句四季文庫の新装版で上梓された。
句集を出すことには、さまざまな考え方があると思う。一生に一回、自分史の記念として出すのであれば、装丁を凝った化粧箱入りのようなものは望ましいし、また一方、文庫本サイズというのは持ち歩く便利さもあり、手にとって広く読んでもらうには好都合である。今回の「あとがき」にもあったが、句集というのは概して著者の手元に残らないものなのである。良いものを残していくためにも、文庫本として再度上梓されていくことは、意義深いことと思う。
たまたま『往馬』は平成13年俳人協会賞受賞当時、単行本のかたちのものをご恵贈いただいていたこともあり、今、十年を経て読み直す機会をいただいたことは得難い経験であった。
当時の私の中に一番心に残った句は、
こがねうちのべたるごときこのこかな という句であった。
たまたま友人たちとの秋田の吟行旅行で、当時、「このこ」なるものの実物を見ていた。「このこ」とは、海鼠の卵巣を三角形に伸ばして、乾かしたもので、珍味中の珍味である。珍味というのは貴重であるから、値段も恐ろしく高い。一辺が十センチくらいの三角形の大きさのものが、当時でも数万円はしたと思う。金色に干されているこのこを見るとまさに、「こがねうちのべたるごとき」である。
さらにこの句の凝っているところは、芭蕉に一句一章の句をたとえて「こがねうちのべたるやうに」と言う言葉があるのだ。それを踏まえての句なのである。そして紛れも無く、この句は「このこ」の一句一章の句である。そんな茨木和生氏の遊びごころを感じて、当時、心に残った一句であった。
俳壇きってのグルメでもある、茨木和生氏の一面はこの句にも集約されているが、今回読み直して思ったのは、茨木氏の負っている風土と、その故郷への想いである。東京に生まれ育った私には、見当がつかなかった事柄が、この十年を経て理解できるようになってきた気がする。氏は集名の『往馬』(いこま)からもわかるように、幼少期から生駒山を眺めて育った。現在も平群という深吉野の地に住まわれている。
今回、特に心惹かれた句をあげてみたい。
雪漕ぎをして業平の墓に行く
一本の針金なりし貂の罠
ゐずなりし蚕飼疲れを知る人も
濃き墨はひかりて乾き雲の峰
蹴り脚の伸びすこやかな鹿の仔かな
尻子玉抜かれしごとき水中り
熊の糞崩れてゐたる雪間かな
罠づくり伝授してをる春炉かな
しぶちんといはるるは癪祭来る
井戸替の痩鯉を投げ上げにけり
海豚とは知らせてをらず薬喰
十年前の私には、これらの句の諧謔味は理解できなかった。土に根ざし、生きることの、野太さは自分とは無縁ものものだと思っていた。しかし、今になって俳句の世界の中だけに忘れられてはいけない深吉野の風土のもつ力を、いきいきと善も悪もすべてをひっくるめたふところの深さを、この句集に感じはじめている。歳月を経て同じ句集を読み直すことで、気づくのは新たな自分なのかもしれない。そんな貴重なひとときをいただいた。